検索結果

検索キー:
《三國演義》の原文からこのキーで検索した結果は以下の通りです。 結果には原文各回の該当箇所の行番号と内容が表示されています。なお、該当箇所がなかった回は省略してあります。

【第九十六回】

  79  叡從之、加郝昭爲鎭西將軍、命把守陳倉道口、遣使持詔去訖。忽報揚

【第九十七回】

  68 郝昭守把、深溝高壘、遍排鹿角、十分謹嚴。不如棄了此城、從太白嶺
  72  報效。願去陳倉城中、說郝昭來降、不用張弓隻箭。』
  73  衆視之、乃部曲靳祥也。孔明曰、『汝用何言以說之?』祥曰、『郝昭
  76  上人報知郝昭。昭令開門放入、登城相見。昭問曰、『故人因何到此?』
  80  又欲開言、郝昭已出敵樓上了。魏軍急催上馬、趕出城外。祥回頭視之、
  83  早回見諸葛亮、敎快來攻城。吾不懼也!』祥回告孔明曰、『郝昭未等某
  85  祥又到城下、請郝昭相見。昭出到敵樓上。祥勒馬高叫曰、『伯道賢弟、
  87  順大漢而事奸魏、抑何不知天命、不辨淸濁乎?願伯道思之。』郝昭大怒、
  89  汝!』靳祥回見孔明、具言郝昭如此光景。孔明大怒曰、『匹夫無禮太甚!
  94  短梯軟索、聽軍中擂鼓、一齊上城。郝昭在敵樓上、望見蜀兵裝起雲梯、
  99  於是連夜安排下衝車。次日、又四面鼓噪吶喊而進。郝昭急命運石鑿眼、
 101  鍬钁軍、從夜間掘地道、暗入城去。郝昭又於城中掘重壕橫截之。如此晝
 107  千兵去了。孔明恐城內郝昭引兵衝出、乃把人馬退二十里下寨。
 118  別求何策?』維曰、『陳倉城池堅固、郝昭守禦甚密。又得王雙相助、實

【第九十八回】

   1  却說司馬懿奏曰、『臣嘗奏陛下、言孔明必出陳倉、故以郝昭守之。今
   2  果然矣。彼若從陳倉入寇、運糧甚便。今幸有郝昭・王雙守把、不敢從此
  81  且說張郃追蜀兵不上、回到寨中。忽有陳倉城郝昭差人申報、言王雙被
 115  回報說、『陳倉城中郝昭病重。』孔明曰、『大事成矣。』遂喚魏延・姜
 120  且說郭淮聞郝昭病重、乃與張郃商議曰、『郝昭病重、你可速去替他。
 121  我自寫表申奏朝廷、別行定奪。』張郃引着三千兵、急來替郝昭 122 郝昭病危。當夜正呻吟之間、忽報蜀軍到城下了。昭急令人上城守把。
 128  曰、『吾打探得郝昭病重、吾令汝三日內領兵取城、此乃穩衆人之心也。
 132  攻其無備」。正謂此也。』魏延・姜維拜伏。孔明憐郝昭之死、令彼妻小
 148  再說張郃回到長安、見郭淮・孫禮、說、『陳倉已失、郝昭已亡、散關
 152  却說魏主曹叡設朝、近臣奏曰、『陳倉城已失、郝昭已亡、諸葛亮又出

ヒット: 27 件

2003年11月からの
検索回数: